004 コッペリア
今回のテーマは、おそらく発表会を観たことがある方なら一度は名前を聞いたことはあるであろう「コッペリア」です。日本のバレエ教室の発表会は、グラン・パ・ド・ドゥやヴァリエーションといった見せ場だけを次々に見せる小品集だと様々な作品が取り上げられますが、一幕物や全幕の上演となると「コッペリア」「くるみ割り人形」「ドン・キホーテ」あたりが定番ではないでしょうか。かく言う私も、この三作品は、小学生・中学生・高校生と、各年齢に応じた異なる役柄を踊った経験があり、思い出深い作品の1つです。
そんな「コッペリア」は、フランスバレエ最後の傑作といわれ、いよいよバレエの中心地はフランスからロシアに移ります。
ストーリーはとっても陽気で誰もが楽しめる作品ですが、フランスバレエ退廃期を象徴するエピソードを多く持つ作品でもあるので、歴史っぽい要素の多い記事になりました。「おすすめ映像」だけでなく、「初演のエピソード」にもリンクを貼ってありますのでcheck it out!!
初演のエピソード - Episodes of the first performance
「コッペリア」は、1870年にパリ・オペラ座で初めて上演され、為政者ナポレオン三世を筆頭に、ときの権力者が多数観客として集うなか、大成功を収めました。フランスは、ロマンティック・バレエの中心地ではあったものの、この時期にもなると才能のある作曲家やカリスマ性のあるダンサーに恵まれず低迷していましたが、そんな時に彗星のごとく表れたのが、この作品の作曲家レオ・ドリーブと主役のスワニルダを踊ったジュゼッピーナ・ボツァッキでした。
レオ・ドリーブは、ロマンティック・バレエ初期の名作「ジゼル」の作曲家、アドルフ・アダンのもとで作曲を学び、コッペリアは彼のバレエ作品としては一作目。三大バレエを作曲したチャイコフスキーのような壮大さや、ドン・キホーテやラ・バヤデールのミンクスのような独特の世界観はないけれど、優美で繊細な美しい音楽を生み出しました。コッペリアは彼の人気を不動のものにし、現在ドリーブは「フランス・バレエ音楽の父」と呼ばれています。
主役のジュゼッピーナ・ボツァッキは、当時16歳での大抜擢でした。振付家のサン・レオンは、若い彼女のために振付を優しく付け直したのだそう。現在でも、スワニルダは全幕通して超絶技巧の場面は少なく、海外だとバレエ団だけでなくバレエ学校の公演としてもコッペリアが選ばれるイメージがあります。(私の初めてのパ・ド・ドゥもスワニルダでした。)
彼女のスワニルダは好評を博しましたが、ジュゼッピーナは、この初演の半年後、わずか17歳のときに天然痘で亡くなります。フランスバレエは衰退期にもミューズを得ることができないまま、ついに終焉を迎えるのです。
また、コッペリアの初演時には、劇場はバレリーナという高級娼婦とパトロンの出会いの場と化していて、コッペリアでは、男性の主役ダンサーさえも長身の人気女性バレリーナが男装して演じたそうです。一説には、男性の衣装の方が身体の線が良く見えるためあえて女性を配したとも言われており、当時のバレエの低俗ぶりを表す象徴的なエピソードです。
ちなみに、初演時は、オペラ作品に続いてコッペリアが上演されて全体として上演時間が5時間を超え、多くの招待客が終演を待たずに帰ってしまったようです。これに対し、オペラ座がとった解決策は、現在の3幕の「時の踊り」から始まる一連の踊りをカットする、というもの。今では3幕だけで上演することも多くあるほど、一番の見せ場の幕ですが、現在も本家のパリ・オペラ座は、このスタイルを踏襲しています。
オペラ座といえば、バレエ学校のコッペリアが映像化されています。今をときめくエトワール、マチュー・ガニオの初々しい姿を見られます。なんといっても、締めの3幕がないので、「え、ここでおしまい?」と肩透かし感はありますが、ピュアな生徒たちのバレエは、観ていて清々しいです。
歴史 - History
コッペリアの特徴の1つとして、民族舞踊が多様されていることが挙げられます。1幕にポーランドの民族舞踊マズルカやハンガリーの民族舞踊チャルダッシュが登場し、コッペリアは民族舞踊をディヴェルティスマン(ストーリーの流れとは直接関わりなく、多彩なダンスが連続して踊られる場面)として用いた最初のバレエと言われます。
バレエに民族舞踊が用いられたきっかけは、ロマンティック・バレエがロマン主義という当時流行した思想から多大な影響を受けた点にあります。人々の時間的・空間的感覚が広がったことによる異国趣味はロマン主義の特徴の1つとして挙げられ、コッペリア以前も、「ラ・シルフィード」はスコットランドを舞台にしていましたし、「ジゼル」の2幕に登場する死霊ウィリも、初演時は世界各国から集った死霊という設定で民族衣装をまとっていたようです。
しかし、「コッペリアはフランスあたりにある村で起きるどたばたラブコメという設定だったはずなのに、ディヴェルティスマンとはいえ、ポーランドやらハンガリーの人が集うのは唐突では?」とずっと疑問でした。
ところが、この作品の舞台はフランスではなく、現在のウクライナとポーランドにまたがるガリツィア地方なのだそうです。なので、ポーランドの民族舞踊マズルカは、設定上は地元のダンスといえるのかもしれません。
また、現在のハンガリーがポーランドの南、ウクライナの南東で接していることからもわかるとおり、ハンガリーもまた至近に位置し、ガリツィアは1867年にオーストリア・ハンガリー帝国に併合されてハンガリーの影響力が強くなったと言われます。したがって、ガリツィアではハンガリーの民族舞踊もきっと日常的に見られたことでしょう。
当時、東方のガリツィアとフランスはドイツ(プロイセン)で遮られ、フランスとドイツは一触即発のにらみ合いの時期ですから、ドイツより東のガリツィアは市民にとってまさに異国。単に当時の流行思想を取り入れるという意味合いのみならず、ドイツの先の世界をイメージさせることで、そこに行き着くための宿敵ドイツ打倒を鼓舞するプロパガンダ的意味合いもあったのではと勘ぐってしまいます。
そして、ストーリーは当時の人気作家であったホフマンの「砂男」をベースにしています。ホフマンといえば、「くるみ割り人形」の原作も書いているドイツ人作家で、特に1828年にフランス語翻訳されて以降、フランスで爆発的な人気を得ます。「砂男」はかなり不気味で絶望的な結末で終わる物語なのですが、バレエの脚本に変換される過程でラブコメへと大きく形を変え、平和への祈りも込めた(3幕の主役による見せ場は「平和のパ・ド・ドゥ」と呼ばれます。)物語になりました。
しかし、その願い虚しく、初演の5月25日から2ヶ月と経たない7月19日にはドイツとの間で普仏戦争が始まり、最終的にフランスはヴェルサイユ宮殿でのドイツ皇帝即位式とアルザス・ロレーヌの割譲という屈辱的な敗戦に至るのでした。
なお、コッペリアと砂男の詳しいストーリーを知りたい方はこちらがオススメです。
おすすめ映像 -Recommended YouTube
コッペリアは、これまで紹介してきた作品に比べるとみどころごとの映像は少なかったので、全幕の映像を1つご紹介します。
この映像のほかに、オシポワが主役を演じるボリショイの映像があったのですが、削除されてしまいました‥オシポワは、クセの強いダンサーなので、個人的には作品によって好き嫌いがあるのですが、スワニルダは彼女の勝ち気な雰囲気とマッチしていてよく似合っていると思います。ボリショイなので、全体のレベルが高く、衣装も民族衣装っぽく鮮やかな色合いでとてもかわいい作品に仕上がっています。
ボリショイのセルゲイ・ヴィハレフ版は、パリの初演から14年後にロシアで上演された時のプティパ版をできる限り忠実に再現したバージョンです。
オーストラリア・バレエの映像 - Video of Australian Ballet
90年代前半の映像ですが、いまだにコッペリアといえばこの映像をよく見かけます。スワニルダ役のリサ・パヴァーヌが、はつらつとしている中に品もあるバレエで魅せているのが印象的です。2幕の人形たちの中で異彩を放つぐにゃぐにゃの人形も一見の価値があります。
こちらは、オーストラリア・バレエを設立したペギー・ヴァン・プラーグのバージョンです。
個人的に、コッペリアは、美しい音楽とはっちゃけた演技で踊っているのは楽しいのですが、観るとなるとバージョンによっては苦手に感じるときもあります。原作の「砂男」の不気味さを唯一残すキャラクター、コッペリウスがどう描かれるかによって、コミカルな楽しさよりも胸がきゅっと締め付けられる哀愁を強く感じてしまい、後味が悪くなる時があるのです。
例えば、ボリショイのヴィハレフ版は、あまりにもコッペリウスが邪険に扱われるので可哀相になってしまい、観ているのが少しつらくなりました。
この他の著名なバージョンの1つとしてコッペリウスの心理描写に力点を置いたローラン・プティ版がありますが、これも辛くなりそうでいまだ全幕にトライできていません。
他方、コッペリウスにもハッピーエンドが訪れるピーター・ライト版は、心温まる物語として完結していて嬉しくなります。ラフィユもそうなのですが、ライト版はどの作品にも愛が溢れているのが特徴です。
このように、コッペリアは、コッペリウスの性格や周囲のコッペリウスの扱い方、そしてどのようにコッペリウスに焦点を当てるかでバージョンごとの特色が生まれている印象を持ちます。
コッペリアを観るときには、主役の2人だけでなく、コッペリウスに着目してみても面白いかもしれません。