BALLET & DANCE = My LIFE

バレエのこと。ダンスのこと。

4バレエ団4様の「くるみ割り人形」

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いよいよ2020年を迎えますね。今年最後の記事として、12月前半、日本にて「冬の風物詩」(になってほしいと願っている)「くるみ割り人形」について書いておきたいと思います。

 

くるみ割り人形」といえば、アメリカのバレエ団では1年の収益の半分近くを稼ぐと言われる定番の演目。日本でも人気の演目で、普段バレエを観ない方でも「くるみ割り人形」だけは観たことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

チャイコフスキーの音楽は、クリスマス近くになると街中から聞こえてきますし、ソフトバンクのCMやのだめカンタービレなど多くのテレビ番組でも使われているので、バレエを知らない方でも親しみやすい作品です。

 

今年の東京は、以下のリストを見ていただくとわかるとおり、珍しく主要バレエ団がすべて「くるみ割り人形」を上演する「くるみイヤー」でした。バレエ団によってはあえて演目を外して「くるみ」を上演しない年もありますので、「今年は見比べてみるのに最適!」と思い、★印の4つのバレエ団の「くるみ」を観てきました。

11月28日-12月1日,5日,7日,10日,14日 Kバレエカンパニー

12月7-8日 井上バレエ団

12月7-8日 スターダンサーズ・バレエ団★

12月13-15日 東京バレエ団

12月14-15日 牧阿佐美バレヱ団★

12月14,15,17,21,22日 新国立劇場バレエ団★

12月21-22日 東京シティ・バレエ団

1227-28小林紀子バレエ・シアター

 

一時帰国の日程と他の予定との調整上、4つのバレエ団しか観ることができなかったのですが、いずれの日程もクリスマスに近い週末で、複数のバレエ団が上演している激戦の日程。

しかし、どの公演もざっと見て9割近くお客様で埋まっている観客席を見て、とても嬉しかった!

もちろん、バレエ団・ダンサーといった関係者の努力によるところが大きいと思いますが、客席数からしてこの4公演だけでも6,000人以上のお客様が劇場に足を運んでくださり、終演後の高揚した空気を感じられたことが、とても印象に残りました。

 

また、これだけ短期間に多くの「くるみ」を観たのは初めてだったので、劇場の違いや演出(振付・衣装・舞台装置・舞台転換・設定・編曲等)の違いを他の公演の記憶が鮮明なうちに比較することができ、とても興味深い経験になりました。

 

そこで、ぜひ皆さんにもバレエ団によって「こんなに違いがあるんだ〜」と知っていただき、「来年は違うものを観てみようかな」とか「来年から観始めてみようかな。これが観てみたいな。」と感じてもらいたい!と思い、以下を書きました。(もう来年のこととは気が早いですが笑)

 

以下の目次が、各バレエ団の演出の特徴です。本文では、どんな方に観ていただいたら楽しめそうか、ややネタバレ含めつつ書いてみました。実際に観た日程に沿って書いていますが、気になる目次のバレエ団から読んでみても良いかもしれません。

 

現実からファンタジーの世界に誘う素敵な夢を描くくるみ

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スターダンサーズ・バレエ団の演出は、なんといってもファンタジック。クララたちがお菓子の国へ向かう船にはドラゴンの羽がついていますし、第2幕のお菓子の国ならぬ「人形の国」のセット、ドールハウスもとってもキュート。お子さんの心を鷲掴みにしてしまうこと間違いなしの世界観でした。

 

このファンタジー感が活きるのは、1幕あってこそ。1幕1場は、通常この物語の主役クララ(マーシャということも)のお家の中で展開されることが多いですが、スタダンの1幕はドイツのクリスマスマーケットに着想を得た、屋外での楽しいひととき。リアルなクリスマスマーケットのセットのなか街の日常が描かれ、この現実世界との対比で、人形劇小屋の中で起こる不思議なファンタジーの世界が際立ちます。

 

また、特徴的なのは、ダンサーたちがトゥシューズを履かずにモダンな振付に挑む「雪の場」です。雪の音楽は、始めはらはらと舞っていた雪が、だんだん強く、吹雪いていく展開を見せるのですが、トゥシューズなしでのダイナミックなダンスは、特に後半の肌を刺す冷たくて怖い吹雪を表現するのに適しているように思いました。型があり制御されているクラシックの振付だと、自然の厳しさや差し迫る恐怖感を表現するのはなかなか難しいので、このバージョンの振付を見ると、チャイコフスキーの音楽を直感的に感じ取れるように思います。

 

最後には、ダンサーたちによる舞台からのお菓子投げのクリスマスプレゼントがあり、会場は大盛りあがり。お菓子投げは、特にバレエをゆっくり楽しみたい大人からは異論があるかもしれませんが、子どもたちが来年も「また観に行きたい!」と言ってくれるような仕掛けは素敵だなと素直に思いました。

 

デートにおすすめ、しっとりとした大人向けで美しいセットが印象的なくるみ

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東京バレエ団の「くるみ割り人形」は、新制作のバージョンが初お目見え。例年、東バは「くるみ」を上演しなかったり、ベジャールの「くるみ」を上演したりとバリエーションが多い印象ですが、今年は新制作でどのような舞台に仕上がるのか楽しみにしてきました。

 

まず、舞台装置と衣装の美しさが印象的な舞台でした。民間でこれだけ良質な舞台を創れるのはすごいなと改めて。この装置と衣装を観ているだけで、非日常感に満たされて「バレエを観に来たなぁ」との満足感に浸れます。ロシアバレエの系譜をつなぐ芸術監督のもと、ロシアの伝統的なワイノーネン版をベースにし、正統派でセンスが良く、舞台転換も壮大かつ無理のない展開で、見応えがあります。1幕1場の途中では残念な演出もありましたが、その後クリスマスツリーが大きくなる(=マーシャたちが小さくなる)シーンのリアル感を高める大きな舞台転換も、わかりやすく初めてでも楽しめます。

 

また、他の3バレエ団と違い、1幕1場のマーシャとマーシャのお友達を、男の子役も含め大人の女性ダンサーが踊るのも特徴。「くるみ」は実に多くの演出があるのですが、演出の大きな分岐の1つは、マーシャ(またはクララ)を大人・子供いずれが演じるか(金平糖の精とマーシャを同一人物にするか、にもつながります)、マーシャの周囲のお友達を大人・子供いずれが演じるか、だったりします。好みが分かれるところですが、東バのように大人だけで演じるのもまとまりが出て良いなと思いました。日本人は身長が高くないので、子供役も結構はまりますしね。東バは、マーシャと金平糖の精を1人が演じ、ドロッセルマイヤーの存在感が大きくなく王子に導かれる成長物語なので、ロマンティックさが引き立ちます。この演出が、大人向けと表現した所以でもあります。

 

あと、今回の新制作では数人のダンサーが振付助手を務めているのですが、個人的にはブラウリオ・アルバレスが振り付けたねずみVS兵隊の戦いの場面のフォーメーション等が面白く、飽きずに見られたのはポイントが高かったです。(くるみって11場といい、戦いの場面といい、演出・振付の良し悪しで観客を飽きさせてしまう可能性を大いにはらんでいて、なかなか難しい作品だなといつも思います)

 

バレエを習う子供たちに刺激を与える、未来のダンサーが大活躍のくるみ

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牧阿佐美バレヱ団の一番の見どころは、なんといってもクララを始めとする子どもたちの活躍でしょう。

牧のパンフレットには1963年からの歴代のクララの名前が記されているのですが、その面々を見ると、パンフレットに名前を記載している理由がわかります。高田茜さん、影山茉以さん、木村優里さんなど、国内外で現在活躍しているダンサーがみな、子供の頃に牧のクララを踊っているんですね。今回久しぶりに牧のくるみを観て、改めて粒揃いの子供ダンサーたちがいることを実感しつつ、子供のダンサーを育てるバレエ団・バレエ学校としての能力は突出しているとの印象を受けました。東バとは対象的にクララもクララのお友達もみな子役ですが、しっかり踊れていて飽きることがありませんでした。

 

私自身がそうであったように、バレエを習っている子供たちが観れば大いに刺激を感じる作品でしょう。また、大人のみなさんも未来のバレエ界を担うかもしれない小さなダンサーたちを知っていただき、ぜひ長く応援してもらえたら嬉しいです。私も、今回観たクララの子の名前は覚えましたので、今後陰ながら応援していきたいと思います。

 

全体の演出としてはオーソドックスなくるみなので特筆すべき点がないのが残念ですが、コール・ド(群舞)の質が高く、特に「雪の国」は見応えがありました。くるみは客席のどの位置から観るのがベストか悩む演目ですが、牧は2階から観るのもオススメです。雪の場の美しいフォーメーションチェンジは、上階から観ていて壮観です。

 

スタダンと同じくダンサーによるお菓子投げがあったり、終演後レヴェランスのときに「写真OK」とのパネルが掲げられるのが面白かった笑。アメリカではみなレヴェランスになると誰が言わずともぱしゃぱしゃ写真を撮り始めますが、日本人は撮りたいと思ってもなかなか撮らないですからね。バレエ団からOKをもらってみなさん安心して写真撮影を楽しんでいました。

 

難しい振付をこなすダンサーたちに拍手喝采、バレエを観たい人向けのくるみ

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新国立劇場バレエ団のくるみは、ただただダンサーの方々に拍手喝采です。今上演しているくるみのバージョンは今回初めて観ましたが、何が特徴かってとにかく振付が難しい。音を刻むように細かくパ(動き)が入り、男女が組めばリフトのオンパレード。中途半端なレベルのバレエ団では踊りこなすことのできない、難易度の高いくるみとの印象を受けました。このレベルの振付をしっかり踊れる新国立劇場バレエ団はさすがで、特に花のワルツが終わったときにはただただ感動。(花ワルって飽きるポイントのひとつだと思っていたのですが、次々と繰り出される動きの数々に釘付けでした)

 

新国立劇場の充実した舞台設備を存分に使った美しい舞台転換や装置も見どころではあるのですが、何より振付に目がいくので、バレエという踊りを観たい人におすすめのくるみと感じました。残念だったのは、1幕1場の子供の使い方でしょうか。

新国の演出では、クララは途中まで子供が演じ、クララのお友達も子役でしたが、子供を活かす振付・演出にはなっておらず、バレエに興味がない人だと少し飽きてしまう間延びした時間になっていたように思います。アグレッシブな大人のダンサーの振付と対比すると、子供の振付には興味がなかったのかなと思ってしまうほど。ダンサーのレベルは、コール・ドから主役までかなりレベルの高い公演でしたが、同時にもったいないとの感覚も拭えませんでした。

 

ひとたび客席に目を向けてみると、海外からのお客様が圧倒的に多いことは新国ならでは。特に欧州からのお客様にとっては、国立のバレエ団が一番のバレエ団というイメージも強いでしょうから、自然に新国を選ばれているのだと思いますが、日本は世界に珍しく民間のバレエ団がひしめきあいながら切磋琢磨していますので、ぜひ来年は民間のバレエ団も観に行っていただきたいなと思ったりしました。

 

 


 

世界有数の4大バレエの舞台を一気見して思うこと

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10月約2週間かけてニューヨーク・ロンドン・パリでバレエを鑑賞する旅を決行しました。

 

その後ロサンゼルスに戻ると、マリインスキー・バレエのツアーが待っているという奇跡が!わずか3週間ほどで、ニューヨーク・シティ・バレエ、ロイヤル・バレエ、パリ・オペラ座バレエ、マリインスキー・バレエという世界に煌めく4バレエ団をコンプリートしました。

 

こんな機会自体なかなか起こらないし、それぞれの個性がよく出る粒揃いの演目でもあったので、貴重な経験と感覚を忘れないうちに、この3週間を通じて思ったことを記しておこうと思います。

 

 

アメリカバレエにおける「美」の定義とは

最初に向かったニューヨークで鑑賞した、バランシンの珠玉の名作「セレナーデ」を中心としたニューヨーク・シティ・バレエ(以下「NYCB」)のトリプルビルの感想は、ショックの一言。

「このレベルで当日を迎えてよいの?」と、俄かには信じがたい感想でいっぱいになり、どぎまぎしながら帰路に着きました。

 

そもそも、私が育った日本のバレエの感覚でいうと、コール・ド(群舞)はじめ複数人で踊るバレエは、揃ってこそ美しいというのが大前提。

プロはもちろんのこと、私のようなアマにだって、照明合わせともなれば、「一番先頭は、前から2つ目の袖、リノの線の上に立って。そこから移動して、客席通路から3席目で止まって。」「上下(かみしも)で立ってる場所が違う!」「手の高さが違う!」といった指示が飛び交っていて、今でも夢に出てくるほど。

なので、複数人の踊りを観ていて揃っていないと、とても居心地が悪く感じてしまうので。

 

が、ところ変わってアメリカのバレエは、NYCBと並びアメリカ一有名なバレエ団の1つ、アメリカン・バレエ・シアターの「白鳥の湖」ですら、とにかく「揃わない」。

ただ、古典はさすがに「揃えよう」というダンサーたちの心の声は聞こえたので、それでも「揃わない」のは「さすが個人主義の国アメリカだよね」と思ってました。

 

その感想を超えてきたのがNYCB。もはや彼らは「揃えない」(ように感じた)のですね。「揃えよう」とする意識さえ見えなかったから、激しく心が動揺したのだ、と後から思い返しました。日本のように「揃える」ことを美の基準にしていないからなんだ、と美の定義が違うと気づいてなんだかすっきり。

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NYCBの持ち味は、並外れたダイナミックさと疾走感。

ここが彼らのバレエとしての美しさの基準なのだろうと思います。そして、アメリカ人の観客も、何よりダイナミックさや勢いがある、excitedなバレエが大好きです。観客にとっても、揃う美しさがなくても十分「評価の高いバレエ」になりそうです。

 

この基準がある中、NYCBのダンサーが、もし日本のコール・ドのように、「ジャンプはみんなが同じ場所に着地できる大きさに調整しよう」などと考えていたら、果たしてNYCBと観客が理想とするダイナミックさを表現できるのか、答えは否です。それだけ、全員のパワーが爆発しているところにNYCBの魅力があるし、観終わったあとの爽快感がなんとも心地よい。

とはいえ、ここまでダイナミックさにフォーカスするバレエ団は、アメリカでも珍しいと思います。観客席は大興奮だったので、これも1つの形なのかな。盛り上げるバレエ、アメリカらしい一面を観た気がしました。慣れないけど。

 

マノン史上最高のマノン

続いて、イギリスに着いた初日の夜、幸運にも大変な名演に居合わせることができました。ロイヤル・バレエの十八番「マノン」が素晴らしすぎて、冒頭から涙と興奮が止まらない!その場で興奮を共有したくて、すぐ後ろに座っていた素敵な日本人母娘に声をかけてしまったほど笑

私にとって特別の中でも特別なロイヤル・オペラ・ハウスで観ていたから、という個人的な感情を抜きにしても、素晴らしすぎる舞台でした。デ・グリュー役のロベルト・ボッレが、カーテンコールで感極まって涙を浮かべて立ち尽くしてしまうほどの大歓声と地響きのような拍手…。忘れられません!

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とにかく、主役のマリアネラ・ヌニュス&ロベルト・ボッレのマノンとデ・グリューには神が降りてきていまいた。これまで日本でもそれなりの数、かなりの有名ダンサーたちで「マノン」を観てきたのだけれど、この舞台は異次元レベル。

マリアネラといえば、伸びやかな肢体と確かな技術で、役柄の感情を細やかに情熱的に表現するダンサーですが、彼女の円熟した表現を最大限まで引き出せるロベルトの抜群のサポートがこれまた素晴らしかった!

一歩間違えば大きなミスになるぎりぎりのところまでマリアネラが体を使っても、必ずロベルトが受け止めるという絶対の信頼関係と、ぎりぎりの駆け引きの中でしか生まれない究極の演技。安心感に包まれたマリアネラは、極限まで自由に、体全身でマノンを生きていました。

ロベルトは、さすがに体力的な衰えでデ・グリューのうぶな若々しさを表現するには少し無理があるけれど、余りある情熱的な表現力とパートナーシップで極上の世界に仕上げたなと。ロベルトの年齢を考えたら、この2人をもう一度全幕で観られる可能性は高くないはず。「ロンドンまで行って本当によかったー」とただただ感動した夜でした。

 

また、全幕もののバレエには多くの登場人物が出てくるので、主役だけ素晴らしくても良い舞台にはならないものです。主役の出来が良ければ良いほど、主役と関わる準主役級のダンサーがこのレベルに達しないとときの興ざめ感といったら‥。

この公演は周りを固めるキャストもまた素晴らしかったことは言うまでもないですが、特に、ムッシュー・GM役のギャリー・エイヴィスとレスコー役のマルセリーノ・サンベを挙げておきたいです。

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まず、ギャリー。20年前Kバレエ・カンパニーの旗揚げ公演でギャリーが熊川哲也と踊っていたころは、まさかこんなギャリーを観るとは思わなかったけれど、いまやロイヤルの伝統を引き継ぐキャラクター・ダンサーとしてカンパニーを引っ張るギャリー。その演技は、毎度「なるほどー、そう表現するかー」と唸ってしまう職人感にあふれています。

ギャリーのGMは、「とにかく嫌なヤツ」。馬車から降りるときにハンカチで鼻を押さえる姿は客席にまで臭いを届け、レスコーを杖で突くちょっとした動作で金と階級がすべてを支配する卑しい当時の世界をまざまざと描き、レスコーを銃殺した後に高らかに笑って残酷さを見せつける、これでもかというほど「嫌なヤツ」。

6月に、あったかくて娘思いのロレンツォ役を観たばかりだったからか、同一人物かと思うほど演技が際立って見えました。どうその役を生きるかのイメージが頭の中にクリアにあり、そう見せるための引き出しに事欠かないギャリー。あのGMなくしてあのマノンの出来はなかったと思います。

 

そして、マルセリーノ。6月のドンキではやや準備不足にも見えたバジルでしたが、今回は、最高に愛すべきレスコーを演じていました。レスコーは、高い表現力が必要とされるのはもちろんのこと、砲弾に倒れるまでの各幕でなかなか難しいヴァリエーションをこなさねばならず、男性ダンサーの総合力を試される役です。

1幕が開いたとき最初に観客の目に飛び込むのは舞台の中心で黒いマントに身を包むレスコーだし、この作品のキーパーソンで、レスコー役の実力は間違いなく舞台全体の出来を左右します。そんなプレッシャーのある役どころをこなした、マルセリーノの高い身体能力と若々しいはつらつとした表現は、無鉄砲で享楽的なレスコーの性格にぴったり。

2幕の見せ場、酔っぱらいの演技も、出し惜しみを一切しない体当たり(床に転ぶところなど文字どおり体当たりで舞台に背中を打ちつけ、痛そうだったけど)の演技で、観客席は笑い声に包まれました(これがまた後半の悲劇とのギャップになることがわかってるので、笑いながら泣いていた私です)。

また、これは彼の人柄からくる解釈だと思いますが、マノンを金の成る木として利用しながらも、心は優しく妹思いの面が強めに演技に現れていて、この表現がGMに銃殺されるときのレスコーの哀れさとGMの非情さを際立たせていました。

 

誰が欠くことでも成立しえなかった極上の舞台でしたが、最後に、活躍する日本人の中でもアクリ瑠嘉を挙げておきたいと思います。

多くの日本人が出演していたこの舞台の中で、ベガー・チーフを演じた瑠嘉君の放つ華やかさは目を惹くものがありました。華があるとは彼のことを言うのだろうと久々に感じる強烈さがありました。ファースト・ソリストに昇格したばかりですが、プリンシパルも遠くはないはず。ますます活躍してほしいですね。

 

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バレエは作品と劇場を一体として成り立つ

感想とは別に、マノンは大好きな作品で日本でも観てきただけに、気づきのある舞台でもありました。その1つは、「バレエは作品にフィットする劇場があって初めて完成する」ということです。東京にいると、海外の第一級のバレエ団を観ることができるので、すっかり世界中のバレエ団の舞台を堪能した気になっていたけれど、ちょっと違ったなという話です。

 

もうちょっと具体的に言うと、バレエって、舞台という枠の中の世界に見えるので、私としては日本で観ても本拠地で鑑賞しているのと全く同じ経験ができていると思っていたんですね。だけど、実際は、本拠地とそれ以外の劇場とでは、舞台装置・衣装・照明の劇場空間へのフィット具合が全く違うのだなと。

これまでも、海外の全幕バレエを日本で観たとき、たまに舞台装置やデザインのセンス(特に色味)に疑問を覚えることがあったのですが、装置のセンスと東京の劇場が合っていないからなのか、と初めて気づきました。本拠地の劇場で観たらもっとフィットして見えるのかもしれないと。

 

一流の舞台を東京で観られることに感謝しつつ、本拠地まで通うことの意味を実感した瞬間でした。また、いつか、日本でも、劇場の持つ色味、明るさ、空気に溶け込み、日本のバレエを最大限に生かした作品が生まれたら、と思いを馳せる夜でした。そのためには、劇場専属のバレエ団が必要で、そのためにはバレエ・オペラ専用劇場の建設が必要で‥と途方もない道のりなのですが…。

 

加えて、ダンサーたちからは、ツアーで踊るダンサーから感じるものとは別の、「無意識下の意識の違い」も感じられたように思います。良い舞台に必ずある良い緊張感とともに、本拠地にしかない気迫のようなものがすごかった。

厳しい鑑賞眼を持つロンドンの観客にさらされれば、どんな名プリンシパルでも緊張せずにはいられないだろうけれど、それだけではなく、マノンを初演から脈々と受け継ぐロイヤル・オペラ・ハウスに立てることへの誇りと自負、役柄を生きるダンサー同士の熱がぶつかる気迫、そしてこの舞台で踊れることへの喜びが満ち溢れた舞台だったと感じます。

そんな感覚を、ダンサーとして味わってみたかったと思う一方で、ダンサーでは絶対に味わえない、真正面から観客として観られることの感謝を噛み締めながら劇場を後にしました。

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世界のバレエの個性と日本のバレエ

本家ロイヤル・バレエにしかできない、バレエで役柄を生きるマノンの世界にどっぷり浸かった翌日がオペラ座のコンテンポラリーで、どうにも私に鑑賞の準備ができていなかったのが、この旅一番の後悔です。

ロイヤルの興奮を十分に消化できないまま、よく寝ずにパリに入ってしまったし、じわじわと侵食してきてくれるコンテンポラリーでもなかったので、体と心にうまく吸収できず。観た直後こそそれなりに感動したはずですが、今となっては文章化できるほどの感想もなく、もったいないことをしました‥。

舞台を創り上げる人たちのパワーを受け止めるには、心身の余裕を持って臨まないと、本来感じられるものも感じることができないなと。

 

唯一今書けることは、NYCB・ロイヤルを経てオペラ座のバレエを観ると、それぞれの国を代表するような、各国のバレエの個性をひしひしと感じたことでしょう。

オペラ座のバレエは、いつどんな作品を観ても、独特の気品とウィットさに富んでいます。一人ひとりのダンサーがクレバーで意志と意見のある踊りをするから、コンテンポラリーも各人が意味付けをしてきっちり踊りこなす印象を受けます。もちろん、アカデミックなスキルが統一されているから、複数人で踊るシーンでは、たとえ男女であってもぴたりと揃い、日本人が観ると清々しいのも魅力です(アメリカ人はあまり感じないかも)。また、手足の末端を、まるで水の中で抵抗があるかのように粘りのある使い方をするので、観客には動きの残像が見え、何とも言えない美しさがある(と私は思っている)のも素敵なところ。

 

一方で、オペラ座は、羽目を外したり、遊びを残したりするような踊り方をする人は少ないという印象もあります。人間でいえば、下世話な冗談が通じないような真面目さがあるのですね。

例えば、今回の旅の後マリインスキー・バレエのジュエルズを観たときのこと。ジュエルズといえば、私の中ではオペラ座の映像化されたバージョンが1つの完成形だと思ってきたのですが、今回初めてマリインスキーのルビーを観て「なるほど」と思うことがありました。

リードしていたのはキミン・キムでしたが、彼はこの役をかなりおちゃめに、遊び心いっぱいに踊っていました。確かにルビーの動きは、エメラルドやダイヤモンドに比べてクラシックが崩され、Jazzyだったり可愛げがあったりするので、前後の宝石たちとの比較を出す意味でも、思い切って遊ぶのは1つの見せ方だなと。これに対し、オペラ座のルビーは、決して遊びすぎることはなく、節度を保った演技を披露しているところがいかにもフランスらしいのです。

 

ちなみに、一度観たかったキミン・キム、今回の鑑賞ですっかりファンになりました。音のしないしなやかで美しいジャンプと抜群の叙情性のバランスがなんとも言えず。今回ルビーとバヤデールのソロルを観ましたが、特にソロルは秀逸。間違いなく時代に名を残すダンサーになります。アメリカ人はキミンが飛ぶたび歓声を超えた絶叫を上げていましたが、私だって恥ずかしくなければ絶叫したかった笑

 

また、脱線ついでに、マリインスキーといえば永久メイさんに触れないわけにはいきません。バヤデールでは影の第3V、ジュエルズではエメラルドのトロワを取ったメイさん。素晴らしかったです。どこまでも無理がなく伸びやかに体を使える技術力と、芯のあるバレエ。マリインスキーは、コール・ド止まりのダンサーとプリンシパルになりうるダンサーの線引きが明確だったのが印象的でしたが、間違いなくメイさんはこれから登っていく人の1人。日本人として誇らしくなりました。

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さて、本筋に戻って、オペラ座の気品にしろ、NYCBのダイナミックさにしろ、ロイヤルの演劇性にしろ、マリインスキーのピュアな美にしろ、各バレエ団にはその国の歴史が色濃く反映され、所属するダンサーたちの踊りには、その国の国民性をベースにした個性が強く発揮されているように感じました。観客席にいると、この国民性を反映した個性が観客の琴線に触れ、熱狂を生み出していることがよくわかります。

そして、熱狂の渦中で思うのです、果たして「日本のバレエの個性とは一体何だろう」と。よく言われる、精度の高い技術やよく揃ったコール・ドは、確かに日本人の精神性の現れではあると思うし、世界に誇れる日本らしいバレエの個性になりうるでしょう。でも、それを本当の意味で徹底するために必要なアカデミックな教育はできていないし、日本人らしい職人芸を極めるための社会的な地位の保障や財政的なサポートも無に等しい。

今までも、これからも、日本が西洋から取り入れたバレエを発展させるために、世界一線のバレエ・ダンス界の流れに食らいついていくことは必要ですが、世界における日本のバレエのプレゼンスを上げること、もっと国内の観客を質・量ともに上げることも志向するのであれば、日本独自の日本らしい日本人にしかできないバレエ・ダンスを育てていくことも極めて重要になると考えています。

 

儚いからこそ美しい

超日本人ぽいタイトルですが、いよいよ書こうと思っていたテーマも尽きてきました。が、どうしても最後に、スティーブン・マックレーに触れておきたいです。今回、旅程を組む中で「マノン」は最低でも2回、違う席で観たいと思い、高田茜&スティーブンのチケットを確保していました。今年春に手術したスティーブンの復帰公演、6月に東京で観られなかったこのペアのマノン&デ・グリュー、わくわくしながら旅の最終夜、ロイヤル・オペラ・ハウスに向かいました。

 

しかし、1幕冒頭からどうにもスティーブンの調子が良くない。彼はどんな役であってもきらきらと輝きを放つタイプなので、不調か否かは踊らなくてもすぐにわかります。動きにも精彩を欠き、役にも十分に入り込めない様子が続いた第2幕。夜会の第1場のあと、寝室に戻ってきた踊り始めで「ん?」と思ったのもつかの間、スティーブンが足を引きずって幕に戻っていく…この状況で走ってはけることすらできず、足をかばいながら下手の幕に向かう彼の痛々しい姿を目の前にして、泣けてきました。

30年近くバレエに関わり、本番中に大きな怪我をする話もいやというほど聞いてきたけれど、その場に居合わせたのは初めてのことでした‥。

 

改めて、バレエが肉体を酷使しながらダンサーの有限の身体能力を削って紡ぎ出される芸術であることをまざまざと感じずにはいられませんでした。スティーブンは今33歳(12月で34歳)、怪我が治ればまたダンサーとしてのキャリアを継続できる年齢ではあります。でも、20代のようには完治しないかもしれない。果たして今回のマノンに出演したことが彼にとって最善の選択だったのか、数十年後スティーブンの全盛期はいつだったと評されるのか。

 

ロベルトのように44歳になってもデ・グリューを踊るダンサーもいれば、若くても怪我により突然引退を余儀なくされるダンサーもいる。そんな儚さがあるからこそ、今を生き、踊れる喜びに溢れたダンサーたちのバレエは美しいなと思ったのでした(外国人はこの点に美を感じていないかもしれないけれど)。そして、ダンサーをキャスト表どおりに、良いコンディションで観られることは決して当たり前でないことを胸に刻み、一回一回の公演を大切に鑑賞し、記憶と記録にとどめていきたいなと思い、この旅行記を書くに至りました。

家族の留学帯同でキャリアを諦める必要はない。

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友人たちと運営しているPathfinders'というサイトで、私のアメリカ生活を記事にしてもらったので、こちらにも転載させてもらうことにしました。

留学というと、主たる留学者がフォーカスされがちですが、私たちの年代にもなると家族がいる人も多く、家族は家族で、留学前は不安にさいなまれたり、留学中も日々苦労を抱えて過ごしていたりします。

とはいえ、私の場合、渡米前は不安いっぱいだったものの、いざ来てみたら苦労よりも楽しいことや気付きの方が圧倒的にたくさんあったので、特に留学前で不安を抱える配偶者や家族の皆さんへのエールになったらいいなと思い、このインタビューを受けました!

 

 

いまされている活動を教えてください。

今は、アダルトスクールという、ロサンゼルス市が主に移民向けに提供している無料の語学学校に通って引き続き英語力の向上を目指しながら、今一番興味のあるアートマネジメントを学ぶため、アメリカの大学が提供しているオンラインの講座を受講しています。アートマネジメントは、アメリカに来る前に働いていた環境とは全く異なる領域なのですが、大学に入るまでクラシックバレエのダンサーを目指していたこともあって、いつかは何らかの形で日本のバレエや劇場芸術を裏側から支えるお手伝いをしたいと思っているんです。アートマネジメントの分野は、日本に比べるとアメリカの方が圧倒的に学問も実務も進んでいるので、本も講座もたくさんあります。時間がある今、自分の大好きな分野の知識を増やす時間は至福のときです(笑)

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学校に行こうと思った/今の活動を選んだきっかけは?

元々日本の企業内弁護士として勤めていたのですが、主人の留学に伴い、会社を辞めて主人と一緒にLAに来ました。最後に勤めていた企業では、新規事業が日々立ち上がるような部署の法務担当として、新規事業が生まれる前から、担当者と一緒に法的リスクを調査したり、利害関係者の契約スキームを検討する仕事をしていました。弁護士としてのキャリアを開始した当初から、事業会社の外でクライアントからの相談を待っているのではなく、ビジネスに近いところで新しいものを一緒に創り上げる仕事をしたいという思いが強くてこの会社に転職したのですが、実際担当してみたら性にも合っていました。

なので、LAに行くことが決まって、日本に戻ってきたあとのことを想像したときに、これまでやってきたような起業家の支援を続けたいなと思い、この思いをベースに何かを身に着けてこようと考え始めました。弁護士というと、アメリカの法科大学院で学ぶ選択がすぐに頭に浮かぶのですが、私が仕事をしながら不足していると感じていたのは、アメリカ法の知識というよりは、起業家が検討すべき法務以外の分野の知識や、幅広い知識を踏まえたもっと実践的な支援のあり方でした。

そこで、もっと弁護士としての幅を広げるべく、起業(アントレプレナーシップ)について広く学べるプログラムを選ぼうと考えました。それと、もう少し後ろ向きの理由を言うと(笑)、主人の留学期間は2年の予定だったので、2年間キャリアに穴が空いてしまうのが怖いという気持ちも強かったです。なので、とにかく「何かやらなきゃ!」との思いの中で、何を学びたいのか必死に考えました。

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学校選択の基準・決め手など

渡米する直前まで日本で働いており、英語のリーディングも得意ではなかったので、自ら多くの情報を調べる余裕はありませんでした。そこで、まずはエージェントを探し、主人が通う予定の大学に近くて、総合的に学べる大学はないかと相談した結果、同エリアで一番大きくて、アントレプレナーシップのプログラムもあるサンタモニカカレッジ(SMC)を紹介してもらいました。

日本に戻ってきてから転職する時に履歴書に書くことを考えると、USCやUCLAのエクステンションも選択肢にはありましたが、USCは学費が高すぎて自費では通えませんでした。また、UCLAは、アントレプレナーシップに特化したコースはなかったことに加え、私の興味のあるコースはcertificateの取得までに少なくとも3学期かかることがネックになりました。主人が大学を1年で卒業した後、2年目もLAに残るかアメリカの他の地域に行くかが当時は決まっていなかったので、LAには9ヶ月くらいしかいられない前提で大学選択をしなければならなかったんです。

パートナーとして帯同する場合、どうしても主たる留学者の都合に合わせなければならないので選択肢が狭められてしまうのですが、私はじっくり選んでいる暇もなかったので、SMCに一気に絞れて気持ち的には楽になりました。

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 留学前に大変だったこと、どうやって克服したか

渡米直前に勤めていた会社は、転職して3年半経ったところで、自分自身の視座がやっと高くなってきて視野が広がりかけてきたころでしたし、社内にもたくさんのつながりができてより刺激を受けるようになってきたタイミングでした。なので、主人に帯同することでキャリアが絶たれるマイナスのインパクトは相当なものでした。当時は仕事にかけている時間がほとんどだったこともあって、帯同に伴って仕事を辞めるとイデンティティクライシスに陥るのではないか、との不安が一番大きかったです。もともと行動していないと落ち着かない性格なので、「やることがなくなる」恐怖は人一倍だったと思います(笑)不安を和らげるには生活を充実させるしかないと思い詰めましたが、(ビザの関係で)通学かボランティアしかできないので、まずは大学に行くことに決めたのです。

また、私は幼稚園のころに親の転勤でサンフランシスコに住んでいた以外海外生活経験もなかったので、今回がほぼ初めての海外生活でした。なので、LAに移ってからの生活を思い描こうにも、不安なことが何なのかさえわからないという漠然とした不安にも襲われていました。結局、最後まで「行きたくない!」と騒ぎ続けながら、不安を全く払拭できない状態で渡米しました(笑)

主人について行かずに仕事を続けるという選択肢もギリギリまで考えていましたが、海外での生活は誰でも経験できるものではない、2年の期間限定で帰ってこれる、本当に嫌になったら帰ればいい、の3点で帯同することを決めました。結果、渡米以降一度も日本に帰りたいと思ったことはありません(笑)今になってみれば、「考えすぎず来ちゃいなよ、来てみたら良さがわかるよ」と当時の私に言ってあげたいです(笑)

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学校に通ってみて/活動をしてみて良かったこと・気づいたこと

1つ目は、日本が海外からどう見られているのかを授業を通じて知ることができた点です。アントレプレナーシップのプログラムには、起業家精神のマインドを学ぶ授業や、会計・法律の基礎を学ぶ授業の他に、様々なビジネスの仕組みやその成り立ちを学ぶ授業がありました。その授業では、各国や有名企業の発展の手法を、関税などの経済システムや、資本主義・社会主義といった社会体制や思想、企業文化など、様々な視点からケーススタディで学びました。そうすると、驚いたことに、日本の事例がたくさん出てくるんです。全部で17章あった全テーマを通じて、日本と日本企業の登場回数は特に多く、そして良くも悪くも取り上げられた国だったように思います。「良くも悪くも」の意味は、高度経済成長期の経済成長率やトヨタの「カイゼン」として知られる効率化の事例など、素晴らしい事例が華々しく取り上げられる一方、バブル以降は経済停滞から脱することができず、人口が減少して徐々に衰退している、との寂しい評価でも取り上げられていました。日本にいても、何となくは気づいてはいましたが、日々の生活を淡々とこなすだけでは世界の中の日本という視点で具体的に考えることはなかったので、「海外から見る日本」がどのようなものかを知り、自分の国を客観的に捉えられたのは新鮮でした。

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2つ目として、起業家精神のマインドを学ぶ授業で面白かったのは、「1日実際にビジネスをやってみる」という体験型の授業です。4人ずつのグループに対して、教授からそれぞれ5ドルが渡され、その5ドルで1日ビジネスをして多くの収益が出たグループが勝ちというものです。ビジネスの内容に制限はありません。例えば、ハリウッド山や学校の周辺でペットボトルの水を売るグループもいれば、女性2人でメイクのコンサルサービスを行ったグループもいました。私たちは、20歳の女の子のクラスメートの「アイスを作りたい!」の一言で、手作りアイスを作って学校の一角で売ることを決めました。30代の男性メンバーが飲食店を経営していたことも幸いして、自分たちが持つリソースをフルに持ち寄り、5ドルで材料を揃えることができました。当日は、よく晴れたこともあり想像以上の学生が集まってくれ、1個1ドルのアイス販売2時間で50ドルの利益を出すことができたんですよ。楽しかった!この体験型授業を通じて学んだことをまとめれば、「Think Big, Start Small, Act Fast」でした。

私は、アメリカに来てからというもの、英語が十分に話せないこともあって、持ち味だと思っていた「行動する」性格をすっかり出せなくなっていたのですが、この学びを得てからようやく動けるようになってきたように思います。英語学習のブログを立ち上げてみたり、Ref.代表のあやちゃんと留学に関するアンケートをFacebook上で実施するなど、今のPathfinders’につながるきっかけとなる小さな行動を開始したのもこのあとのことでした。

最後に、社会人になってから留学したことも良かったと思うことの1つです。すでにある程度世の中やビジネスのことも分かった上で新たな知識をインプットすると、学生の時よりも明らかに吸収できる内容が多いように感じました。ある程度働いた後に新しいことを海外で学ぶのは、新たな世界に目を開かせるきっかけになると思います。

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学校に通ってみて/活動をしてみてガッカリしたこと

1つ目は、カレッジだと、地元の高校を卒業したばかりの生徒が圧倒的に多く、私に比べるとかなり若い学生ばかりでした。私も高校卒業したてのときは同じでしたが、まだ社会経験がないため個人としての考えも成熟していないですし、社会や自国のことも十分に理解できていないのです。その結果、授業で刺激的な議論が行われるかというと、そうではなかったように思います。とはいえ、私も英語で議論などできない状態だったので、やっと理解できるレベルでちょうどよかったのですが(笑)

2つ目は、私のプログラムはアジア人すら少なくて現地学生が多く、なかなか会話を弾ませることができなかった点が残念でした。私は主人がロースクールに通っていたこともあって、世界中から集まるロースクール生との飲み会やパーティーにも参加する機会がありましたが、その時に思ったのは、英語ができなくても共通項があると話が盛り上がりやすく、友達関係を築きやすいということです。カレッジでは、ほとんどの学生が10歳以上年が離れ、バックグラウンドも大きく異なるので、なかなか仲の良い友達が作れないのが悩みでした。これは、私があまり英語を話せず積極的になれなかったという事情も大きいので、残念というか自分の実力不足への反省でもあります。

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それに、「一から友達を作る」ということ自体遠い昔すぎて、友達の作り方を忘れていたというのもあったと思います(笑)。日本にいたときは、自分からどんどん話しかけていけるタイプだと認識していたのですが、そういえば自分は根っこの部分では人見知りだったことを思い出しました。言語というコミュニケーション手段を奪われると、自分を覆ったり武器になってくれるものがなくなるので、結構本質的な部分が表面に出るものだなと痛感しました。もしも、渡米して時間が経ってからカレッジに通っていたら、少し違う感想を持ったかもしれません。今になって思えば、私の場合は、キャリアに穴が空くことに焦らず、まずは英語にある程度自信がついてからアカデミックな学習と友達の輪を広げるプロセスに進めばよかったかな、と思います。

 

海外での生活を経て、新たに気づいた価値観や自分が変わったと思うこと

小さな話ですが、ニュースや社会の動きへの関心の幅が広がり、情報収集にかける時間が圧倒的に長くなりました。日本で仕事しているときは、業務をこなすことこそが社会に貢献していることだと思っていたので、とにかく自分なりに一生懸命仕事をすることばかりにフォーカスしていて、新聞も自分の業務に関わりそうなニュースだけを読む毎日でした。ただ、今思えば当たり前ですけど、自分が業務で関わっている事象なんてほんとに小さな世界で、仕事にのめりこめばのめりこむほど、視野が狭まっていったように思います。そう思うようになったので、たぶん、今は、昔のように仕事を詰め込みすぎると、その狭い世界に飲み込まれそうになって息苦しく感じるのではないかと思います。これは、私にとっては本当に大きな価値観の変化です。

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また、渡米してみて一番自分を変えたと思うのは、自分を見つめ直す時間が増えたことによると思います。日本にいたときは、目の前の業務をこなして日々暮らすことにいっぱいいっぱいになってしまっていて、中長期的に人生をどうしたいのか考える余裕はありませんでした。会社はたくさん考える機会を与えてくれていましたが、全く活かしきれていなかったと思います。なので、アメリカに来て、自分の拠り所だった仕事もない何もないまっさらな状態で、いくらでもある時間を使って、自分の使命は何か、社会にどう貢献したいのか、家族とどう過ごしたいのか、などに思いを馳せることは、私にとってはとても重要な時間でした。

冒頭で話したアートマネジメントの学習や劇場芸術の鑑賞に積極的に行くようになったのも、悶々と考え、何度も逡巡する中で「自分にしかできないことをしたい」と考えて取り組み始めたことです。日本のバレエや劇場芸術の世界について、気になっていること、取り組みたいことがたくさんあるんです。その中でもどんな分野についてどんな関与度で関わっていくのかはまだ具体的にイメージできていないのですが、今はせっかくアメリカにいるので、こちらでしか得られない知識や経験をできる限り吸収していきたいと思っています。そして、日本に帰ってからこのLA生活を生かしてしっかりそして楽しく社会貢献し、いつも積極的に動いていきたいと思っています。

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編集後記

最後に、インタビュアーのあやちゃんがコメントをくれました。Many thanks!!

「自分のやりたいことに向かってパワフルに活動するChihiroさん。家族と仕事とのどちらかではなく、どちらも両立するために柔軟に行動していく姿勢は、お手本にしたいといつも思わされます。いち友人として、海外に出る人がもっと増えてほしいという思いから一緒にアンケートをとったりRef.の活動を始めたりと、熱くて優しいハートを持つChihiroちゃんにはいつも助けられています。LA生活を経てさらにパワーアップしたChihiroちゃんのご活躍を楽しみにしてます!」

 
 

アメリカの寄附金優遇措置は日本のバレエ団にも活かせる?

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せっかく期間限定でアメリカにいるので(201710月~20197月末の予定です)、日本のバレエとアメリカのバレエの違いを具体的に考えてみたいと思っていたところ、アメリカの寄附制度について調べる機会に恵まれました。

 

日本のバレエとアメリカのバレエの違いを挙げたらキリがないけれど、「寄附金額」は運営面における最も大きな違いの1つといえるでしょう。例えば、アメリカの主要バレエ団の1American Ballet Theaterの寄附総額(2017年度)は約25億!1ドル=100円計算。以下同じ)Annual Reportには、最低金額12万円以上の年間寄附者の氏名(法人含む)が約1000もずらりと並びます。

 

同バレエ団の2017年度の総売上は約56億なので、寄附金の占める割合はおよそ5割。チケット収入よりも寄附金収入の方が多いのです。では、果たしてどのような仕組みのもとでこの寄附が成り立っているのか、日本でも寄附金を増やすためにアメリカの制度を参考にできるのか、など思うところを書いてみました。

 

 

アメリカのバレエ団を法的に整理すると?

*以下は、インターネットで検索できる資料をベースに記載したものなので、最新の内容ではない可能性があります。間違いに気づいたら訂正します。

 

アメリカでは、American Ballet TheaterNew York City Balletをはじめとして、バレエ団は、内国歳入法501c3号に分類される「パブリック・チャリティ」という免税・非課税団体として活動していることが多いです。

図に示すと以下のとおりで、非営利法人の中でも特にこの501c3号団体と認定されると、税制優遇を受けられたり、寄附者にとっての寄附金控除対象となるなど、税制上最大限の優遇を受けられる余地が出てきます。

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「余地が出てくる」と書いたのは、501c3号はさらに3類型に分かれ、いずれと認定されるかによって受けられる税制優遇等にグラデーションが出てくるからです。

冒頭に書いたとおり、バレエ団は最大限の税制優遇が受けられる「パブリック・チャリティ」に当てはまりうるので、バレエ団を抱える法人のみなさんは、パブリック・チャリティに認定してもらえるよう、また認定を継続してもらえるよう、形式・実態を整えています。

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 日本の寄附金優遇措置との違い

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アメリカの寄附金等の優遇措置をまとめると上記のとおりで、中でもパブリック・チャリティへの個人寄附の場合、課税所得の50%までを所得控除の対象とできる点が目を引きます。この点から明らかなとおり、アメリカの寄附金優遇措置は「法人よりも個人がに手厚い」と評されます。

 

関連して、ボランティア活動に伴って支出した旅費、交通費なども控除の対象となっていて、個人の慈善活動に対して厚い優遇措置を設けています。これにより、バレエ団は、寄附というお金の支援だけでなく、無償のスタッフの労働力の支援によっても支えられているのです。

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これに対し、日本の寄附金優遇措置は、「個人よりも法人に手厚い」と評されます。個人による寄附については、そもそも日本のバレエ団の多くが採用する一般社団法人は控除の対象団体にすらなりません。公益性の審査を受けて公益社団(財団)法人になった場合には控除対象団体になるものの、所得金額の40%までしか控除の対象になりません。(税額控除または所得控除を選択できます)

 

一方、法人による寄附の場合は、アメリカでは課税所得の10%まで損金算入が認められていないのに対し、日本はもう少し柔軟で、以下のいずれかの金額を損金算入することができます。

a) 寄附金の合計額

b) 特別損金算入限度額

(資本金等の額 × 当期の月数/12 × 3.75/1,000 + 所得の金額 × 6.25/100) × 1/2

 

寄附金優遇措置の充実=寄附人口の拡大?

以上からすると、「個人の寄附」に対しての優遇措置が十分ではないことが日本の個人寄附人口が増えない原因のようにも思えますが、アメリカに暮らしてみると、制度の違い以上に歴然として存在する「文化の違い」が寄附金額の多寡に大きな影響を与えているように感じます。

 (1)寄附の精神

一般的に、アメリカの寄附金額が多額に上る理由に、キリスト教に基づく寄附の精神の浸透が挙げられます。(実際、寄附金全体のうち35%程度が宗教団体に対する寄附のようです)

また、寄附金控除を受けるには「実額控除」という控除方法で申告する必要があるのですが、実額控除の利用者は全体のわずか3割程度しかおらず、多くの国民が寄附金控除目的ではなく「寄附の精神」のもと寄附を行っていることが窺えます。

 

この「寄附の精神」は、アメリカに暮らし始めて驚いたことの1つです。ホームレスに対して紙幣やドギーバッグ(レストランでの食べ残しの持ち帰り)をいとも簡単に渡すこと、個人から洋服などの寄附を受け低価格で販売する「Goodwill」のビジネスが地域に根付いていること(これがメルカリがアメリカでうまくいかない理由の1つと述べる記事もありました)など、「寄附の精神」の実行が日常生活の中で自然となされていることを日々感じます。

今でこそ慣れてきましたが、日本人からするとなかなか理解し難く、国民性に深く刻み込まれた文化の違いを感じます。

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 (2)お金アピール&仕組み作り上手

アメリカにいると、何でも「お金、お金、お金」で嫌になるのですが、捉え方を変えると、お金を要求することに特別マイナス感情を抱かない国民性とも言えます。日本人は、お金を要求することを「卑しい」と感じる傾向にあり、お金で解決することを「非情」と捉えてしまう価値観もありますが、アメリカでは「合理的」と評価しているのだと思います。

その結果、ホームレスだって日本よりずっとアクティブにお金を求めているし、バレエ団だってファンドレイジングイベントをこれでもかというほど開催するのです。

 

さらには、中間支援団体が企業を回って従業員に非営利団体を紹介し、従業員が選択する非営利法人に給与天引きで自動で寄附できるように中継ぎをしているのだそうです。うまく(あるいは無理やり)お金を出させる仕組み作りに長けているのも、アメリカの特徴だと思っています。

 

優先順位は何か?

寄附金はバレエ団経営にとって重要な資金源の1つなので、きっと日本に住んでいてもいずれはアメリカとの制度比較をしたことでしょう。そして、日本に住み続けていたら、制度の違いを形式的に捉えて「個人の寄附金優遇措置を拡充してもらえるよう、しかるべきところに働きかけよう!」と考えていただろうと思います。

 

しかし、上記に書いた根本的な文化の違いをひしひしと感じるいまは、立法などにより優遇措置が拡充されたとしても、個人の寄附者が大幅に増えることは期待できないと考え、もっと効果的で優先順位の高い課題から取り組もうと考えます。

 

バレエ団の環境をより良くするために、海外の仕組み・事例も見て参考するにあたっては、形式的な差異に飛びついてはだめだなと。本質的に見て日本のバレエ団に転用可能で、かつ優先順位高く対応すべきことから実施することの大切さに気づくリサーチとなりました。

私の頭の中_Mar. 26, 2019

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 このブログは、とっつきにくい「バレエ」の世界が少しでも身近になり、もっと多くの人が「バレエを観に行ってみようかな」と思い、実際に劇場に足を運んでくださるように、との思いを込めて書き始めました。

 

さて、バレエに限らず絵画・クラシック音楽・オペラなど、西洋芸術って敷居が高いですよね。基礎知識がないと鑑賞のポイントがわからないので、どう見たり聞いたりしたら良いのかわからず、「ふーん」で終わってしまったり、睡魔に襲われてしまったり‥。

Dont think, feel!」って言う人もいるんですけど、興味がさしてないものに感性を研ぎ澄ませと言われても無理があるように思います。

 

だけど、隣にガイドさんがいてくれて、作品の背景やちょっとした鑑賞のポイントをもらいながら見たり聞いたりできたらどうでしょうか?

 

誰でも馴染みのあるところでいうと、映画や、旅行で訪れる遺跡などについて、映画批評家や現地ガイドさんのコメントがあると急に奥行きが広がって見えて、ぐっと惹き込まれる経験をされたことのある方は多いと思います。

私は、このブログが、そんなガイドさん的なものになったら良いなと思っています。

(ただ、あらすじの説明はWikipediaをはじめたくさんウェブページがあるので、ややマニアックな情報を盛り込みつつ、映像とリンクさせることで視覚的な理解のしやすさに努めています。)

 

では、なぜそんなことを考え始めたのか?今日は、その「そもそも」の部分を書いてみたいと思います。 

 

バレエをビジネスに

私は、今はバレエとは無縁の職業に就いていますが、高校を卒業するときにダンサーになる夢を諦めたその日から、「いつか日本のバレエを(ダンサーではなく)裏方としてサポートしたい」と思って生きてきました。

 そんなバレエバカの私が常々思っているのが、「バレエを安定的なビジネスとして運営し、ダンサーが安心して舞台に集中できる環境を作りたい」ということです。 

 

負のスパイラル

*ここからは、私の想像も含みます。間違っていることに気づいたら訂正しますし、考え方も変わるかもしれません。(なので、タイトルにも日付を入れました。)

 

日本のバレエ団の公演は、以下の負のスパイラルをぐるぐるしていることが多いと想像しています。

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バレエ団運営における最も根本的な課題は、慢性的な資金不足でしょう。資金がなければ、当然公演数を増やすことも、質の高い公演を提供し続けることも難しくなります。そうすると、当然観客を惹き付けることも難しい。結果、公演収入が少なくなって次に向けた資金が十分に集まらない、ざっくりこんな負のスパイラルです。

バレエ団の主事業は公演を打つことですが、それが火の車になっていては「安定的なビジネス」とは到底言えないし、そんなバレエ団で踊るダンサーにとっても、「安心して舞台に集中」することは難しい環境です。

 

資金不足がさらなる資金不足を呼ぶ

資金不足は、公演の質・量のブレーキになる以外にも、様々な負の影響を与えるほか、さらなる資金不足を招く原因にもなります。

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大きな問題の一つは、資金不足のしわ寄せがダンサーに来ていることです。日本の芸術界の多くが同じ悩みを抱えていると思いますが、バレエ界も例に漏れず、ダンサーの「情熱」がバレエ界を支えています。彼らは、(全員ではありませんが)生活の保障を十分に受けられないまま、それでも大好きなバレエを続けるため、日々肉体労働に臨んでいます。

舞台のための練習だけでなく、生活費を稼ぐためバレエ教師としての時間も割かなければならないダンサーもいて、舞台に集中できなかったり、怪我のリスクを高めてしまっている点でも心配です。

 

また、バレエ団がプロモーションやマーケティングを専門に運用するスタッフを雇ったり、プロに高額なコンサルをお願いしたりすることも難しいと思われます。そのため、潜在顧客に十分に公演情報をリーチさせ、魅力を伝えることができていないことも、資金不足の影響の1つといえるでしょう。

古典芸術(バレエ、クラシック音楽、オペラ等)の観客は高齢化が進んでいて、何も手を打たなければ観客数の減少は進んでいくばかりなので、若い世代への積極的かつ有効なプロモーションは喫緊の課題のように思います。

 

結果として、バレエの魅力が十分に伝わらなければ、民間企業の協賛金の獲得等他公演収入以外の資金調達も難しく、資金不足に拍車がかかります。

 

ダンサーもバレエ団も幸せになるアプローチを

ただ、誤解していただきたくないのは、バレエ団も「したくてこうしているわけではない」ということです。悪意を持ってダンサーに収入を分配していないわけではなく、「ない袖は振れない」環境によってそうせざるをえない状況に追い込まれています。

(ダンサーのことを大切にしていないバレエ団があるとしたら淘汰されるべきだと思います。)

 

かつては、ダンサーの労働条件が良くないのであれば、ダンサーがバレエ団に交渉する力を付けることが大事なのでは、と考えた時期もありましたが、手元に余剰のないバレエ団相手に交渉してみても大きな進展は起こりえません。今は、交渉以前に、まずは資金調達方法を検討・実行し、バレエ団運営に変化を起こすことが、ダンサーにとってもバレエ団にとっても前向きなアプローチだろうと思っています。

 

できることから一歩ずつ

バレエ団の資金調達手段は、①バレエ公演による興行収入の他に、②国・地方公共団体からの補助金、③民間企業からの協賛金、④個人からの寄付金、そして新しいところでは、⑤クラウドファンディングあたりが考えられます。

(その他、付属のバレエスクールがあり、バレエ団と収支を合算している場合、⑥スクール収入は、バレエ団経営の重要な基盤となります。)

f:id:soliloquy-about-ballet:20190326160414p:plain諸外国に比べて②~④のいずれもが少ない(印象を受ける)日本においては、①の公演収入(=観客動員数)が極めて重要な位置づけになることは疑いようがありません。

 

そして、もっと観客動員数が増え、バレエ公演が活況になることで、「日本のバレエを芸術として存続させる必要がある」とか「観客動員数の多いバレエに協賛することが会社のイメージアップになる」と感じる方が1人でも増えることが、②③の増加にもきっとつながるだろうと私は信じています。(甘いかもしれないですが‥)

 

こんなことを考える中で、まずはバレエのファンを増やすために自分1人でできることを始めてみようということで思いついたのが、ブログなどのソーシャルメディアでした。

 

より多くの方々に継続的にバレエを観に来ていただくため、少ない資金で何ができるのか、⑤クラウドファンディングを使って何かできないか、コストダウンの余地はないのか、根本的に変えなければならない制度があるのではないか等々、この先に続く話はまたいつの日か、もう少し具体化したときに。

それまでに、今後は、もっと現場の声や海外事例などにも当たっていくつもりです。

 

とはいえ、私は経営のプロでもコンサルタントでもないので、すぐにバレエ団の経営に関わり、結果を出すことは難しいでしょう。

なので、まずは自分がこれまで培った専門性をバレエの世界で活かしてしっかり価値貢献し、バレエ団の経営に近づいていくという現実的な取組み(とそのためのインプット)も、並行して実施していきます。

 

未来のバレエ界のために

先日開催された、世界の十代ダンサーが一流バレエスクールや一流バレエ団所属のきっっかけを掴む登竜門、ローザンヌ・コンクールでは、入賞者8名のうち3名が日本人でした。

日本には、世界に通用するレベルのダンサーを輩出できる力があり、世界各国どんな国にも1人は日本人ダンサーが活躍していると言っても過言でないくらい、今日もどこかで、日本人が美しいバレエで世界のお客様を魅了しています。

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そんな素晴らしい日本のバレエがもっと日本の世の中にも浸透し、ダンサーが安心して踊れる環境が生まれることを目指し、何かお手伝いできたらと思っています。

皆様の誰か1人でも、バレエに興味を持ってくださったら、(そしてもしも劇場に足を運んでくださったら‥)これほど嬉しいことはありません!

005 海賊

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「海賊」のパ・ド・ドゥといえば、ガラ・コンサート(大勢のスターダンサーが競演し、各作品の見せ場を次々と見せる形式の舞台のこと)の定番。華やかな音楽に乗せて繰り広げられる超絶技巧は、いつの時代も観客を熱狂させてきました。

 

全幕上演されることはそれほど多くないこのバレエの発祥地はフランス。しかし、ガラで上演されるパ・ド・ドゥを含め、海賊といってイメージする場面のほとんどは、フランスの後にバレエの中心地となったロシアで振り付けられたものです。

そこで、今回は、ロシアバレエの起源・歴史と「海賊」のオススメ映像をシェアしていきたいと思います。

 

 

歴史 - History

「海賊」の原型は、1856年にパリ・オペラ座で初めて上演されました。音楽はジゼルと同じアドフル・アダンでした。フランス初演当時はマイム(ストーリーを伝える身振り手振り)が中心で、エピローグの船の難破のシーンが見せ場だったようですから、バレエというより演劇に近いイメージだったかもしれません。

また、この作品は、原作がイギリスの詩人バイロンによる同名の長編物語詩(1814年出版)という点が、大きな話題になっていたようです。バイロンの「海賊」は、発売初日で1万部を売り上げたという当時の大ベストセラーでした。

 

「海賊」は、初演の2年後にはロシアに渡り、現在のマリインスキー劇場で1858年に上演されました。このロシアの初演時には、男性の主役であるコンラッドを、バレエ振付の巨匠マリウス・プティパが演じたそうです。彼は、ロシア初演時から振付のアシスタントをしたほか、この後、1863年から1899年にかけて、複数回に渡り改訂を行いました。有名なパ・ド・ドゥ、オダリスクのパ・ド・トロワを追加したほか、花園のシーンを完成させるなど、今日の海賊には欠かすことのできない重要な踊りの数々を挿入・改訂したのは、プティパでした。

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さて、ジゼルの記事でも少し触れましたが、ロシアは、ピョートル1世(在位1682年~1725年)がツァーリになった時期から、大帝自身がヨーロッパ各国の視察を行い、積極的に西欧化政策を推進するようになりました。文化の西欧化政策という点では、フランスを模範とし、フランスからは多くのバレエ教師や振付師が招かれるようになりました。(ロシアで「海賊」が初演された時に振付を担当したジュール・ペローもフランス人です。そして、ペローはジゼルの振付家でもあります。)

 

ピョートル1世在位の後、文化保護に積極的だったエカチェリーナ2世(在位1762年~1796年)の時代には、モスクワでボリショイ劇場の起源となる劇場が建設されました(1776年)。また、1783年には、エカチェリーナ2世の勅令により、オペラとバレエの専用劇場としてサンクトペテルスブルクに帝室劇場が設立され、これが現在のマリインスキー劇場の起源となりました。

マリインスキー劇場は宮廷を起源とし、王族・皇族の庇護のもと貴族階級を対象にした劇場です。(ただし、フランスではルイ14世を筆頭に貴族自身が踊り手になったのに対し、ロシアでは初めから職業舞踊手がバレエを踊っていたそうです。)

他方、ボリショイ劇場は、地元の名士であった公爵が開設し、裕福な商人階級向けに発展を遂げてきたそうで、貴族・市民の双方が文化を後押ししていることにロシアの国力の蓄積を感じます。

 

こうして、今に続くロシアの二大バレエの原型が整い19世紀を迎えると、ロシアの文学と音楽が一気に高揚し、文学ではプーシキン、トゥルゲーネフ、ドストエフスキートルストイチェーホフが活躍し、音楽ではムソログスキー、チャイコフスキーボロディンらが登場します。世界史的に見ても稀有なこの文化の爆発的開花に沿うように、ロシアバレエもまた黄金期を迎えたのでした。

 

バージョンと全幕映像 -Full-length videos

グーゼフ版 - Pyotr Gusev’s version

「海賊」は、10年以上に渡るマリウス・プティパの挿入と改訂により、ほぼ現在上演される形になったと言われています。

 

現在、マリインスキー劇場では、1955年にピョートル・グーゼフが振り付けたバージョンをベースにしたものを上演しています。グーゼフは、フランス初演時のアダンのオリジナルスコアをほとんど使わず、アダン・ドリーブ・ドリゴ・プーニ・オルデンブルグと実に5人もの作曲家の音楽を切り貼りしています。また、グーゼフ版は、初めてアリを登場させた点で、その功績は偉大です。

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 ちなみに、あらすじはいつものこちらをご参照ください。(バイロンの原作の解説もありかなり長いので、適宜かいつまんで読むのが良さそうです!)

ラトマンスキー版(プティパ復刻版) - The Bolshoi Ballet's revival

残念ながらマリインスキー・バレエの映像は見つけることができなかったので、ボリショイ・バレエに目を向けてみると、2007年に、当時の芸術監督だったアレクセイ・ラトマンスキーが、プティパの第一回改訂版である1863年のバージョンを復刻しています。

完全復刻というよりは、プティパ版のテイストを大事にしつつ、現在の身体能力に合わせて振り付け、今のスタイルにフィットする衣装などを制作したそうですが、衣装などは古い雰囲気が残っていて、今観ると逆に斬新です。

 

特徴は、グーゼフ版よりも前のバージョンですから、アリが登場せず、花園の場面の後にもう1幕追加されて長丁場の作品になっている点です(たぶん3時間くらい)。マイムよりもバレエに力点が置かれるようになっているため、女性の主役メドーラにはかなりの体力が要求されます。一方、男性はやや影が薄めです。

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 こちらの映像は、1時間で見せ場だけがまとまっているのでオススメです。主役のザハロワの美しいこと。これぞ正統なロシアバレエの継承者と思わせるスタイルとバレエで、パーフェクトです。

ちなみに、このプティパ版復刻版を制作するにあたっては、500着近い衣装が新調され、1.5Mドル(1ドル100円として1億5000万)の制作費がかかったそうです。当然記録が残る中ではトップの制作費だそう。

ルゲイエフ版 - Sergeyev's version

もう1つ主要なバージョンとして、コンスタンチン・セルゲイエフ版があり、これを現在上演しているのがアメリカン・バレエ・シアター(ABT)です。ルゲイエフ版は、元はといえばグーゼフ版の後継として現在のマリインスキー・バレエのために振り付けられたものです。しかし、ときはソ連時代。セルゲイエフが芸術監督を務めていた時代にマカロワやヌレエフといった超人気ダンサーたちが亡命したことに伴い、セルゲイエフは芸術監督を辞任させられました。そして、セルゲイエフ版はロシアではお蔵入りになってしまったのです。

しかし、多くのロシアダンサーの亡命後に活躍したアメリカにおいてセルゲイエフ版が復活し、改訂を経ながら今もなお人気作品として上演されています。

ルゲイエフ版をベースにしたABTのバージョンは、出演者などへのインタビューを含めても1時間50分とスピーディーな展開です。セルゲイエフ版に改訂を加えた、現在もABTの芸術監督を務めるケヴィン・マッケンジーは、物語をわかりやすく飽きさせずに進める展開が得意ですが、この海賊にもその良さがよく表れています。

バレエをあまり観たことがない方にもオススメで、エンターテインメントとして楽しめます。また、主要キャストは、ABTの黄金期を支えた世界から集まるダンサーたちで、いずれも役にぴったりとはまっているのです。私が学生の頃に一世を風靡したビデオ(ビデオというのが時代を感じさせる笑)でした。

 

パ・ド・ドゥの映像 - Videos of pas de deux

「海賊」といえばパ・ド・ドゥ(主役の男女2人で踊られる見せ場)ということで、たくさんの映像を探すことができましたが、中でも指折りの2つをご紹介します。

マリアネラ・ヌニュスのメドーラ - Marianela Nunez as Medora

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こちらは、ロイヤル・バレエ不動の人気プリンシパル、マリアネラ・ヌニェスがメドーラを踊っています。この映像の見どころは、始めのアダージオ(2人で踊る場面)です。ややテンポが遅すぎて海賊らしい小気味よさがないようにも感じますが、マリアネラらしい伸びやかな上体使いが美しいです。

ダニール・シムキンのアリ - Daniil Simkin as Ali

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続いて、ロシアのダンサーでABTで爆発的人気を得たダニール・シムキンのアリを。この映像の見どころは、なんといっても男性のヴァリエーション(男性1人の踊り)です。これぞ海賊の醍醐味、というダイナミックな男性のバレエが楽しめます。ジャンプ・回転技ともに神業的な動きの連続です。美しい男性ダンサーを観たい方はぜひ!

 

ちなみに、この2つの映像は、いずれも東京または大阪で上演されたガラ・コンサートの録画だと思います。日本は、毎年世界一流ダンサーが代わる代わる来ていますから、お気に入りのダンサーを見つけたら、ぜひ日本公演をチェックしてみてください。

 

 

 

 

004 コッペリア

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今回のテーマは、おそらく発表会を観たことがある方なら一度は名前を聞いたことはあるであろう「コッペリア」です。日本のバレエ教室の発表会は、グラン・パ・ド・ドゥやヴァリエーションといった見せ場だけを次々に見せる小品集だと様々な作品が取り上げられますが、一幕物や全幕の上演となると「コッペリア」「くるみ割り人形」「ドン・キホーテ」あたりが定番ではないでしょうか。かく言う私も、この三作品は、小学生・中学生・高校生と、各年齢に応じた異なる役柄を踊った経験があり、思い出深い作品の1つです。

 

そんな「コッペリア」は、フランスバレエ最後の傑作といわれ、いよいよバレエの中心地はフランスからロシアに移ります。

 

ストーリーはとっても陽気で誰もが楽しめる作品ですが、フランスバレエ退廃期を象徴するエピソードを多く持つ作品でもあるので、歴史っぽい要素の多い記事になりました。「おすすめ映像」だけでなく、「初演のエピソード」にもリンクを貼ってありますのでcheck it out!!

 

 

初演のエピソード - Episodes of the first performance

コッペリア」は、1870年にパリ・オペラ座で初めて上演され、為政者ナポレオン三世を筆頭に、ときの権力者が多数観客として集うなか、大成功を収めました。フランスは、ロマンティック・バレエの中心地ではあったものの、この時期にもなると才能のある作曲家やカリスマ性のあるダンサーに恵まれず低迷していましたが、そんな時に彗星のごとく表れたのが、この作品の作曲家レオ・ドリーブと主役のスワニルダを踊ったジュゼッピーナ・ボツァッキでした。

 

レオ・ドリーブは、ロマンティック・バレエ初期の名作「ジゼル」の作曲家、アドルフ・アダンのもとで作曲を学び、コッペリアは彼のバレエ作品としては一作目。三大バレエを作曲したチャイコフスキーのような壮大さや、ドン・キホーテやラ・バヤデールのミンクスのような独特の世界観はないけれど、優美で繊細な美しい音楽を生み出しました。コッペリアは彼の人気を不動のものにし、現在ドリーブは「フランス・バレエ音楽の父」と呼ばれています。

 

主役のジュゼッピーナ・ボツァッキは、当時16歳での大抜擢でした。振付家のサン・レオンは、若い彼女のために振付を優しく付け直したのだそう。現在でも、スワニルダは全幕通して超絶技巧の場面は少なく、海外だとバレエ団だけでなくバレエ学校の公演としてもコッペリアが選ばれるイメージがあります。(私の初めてのパ・ド・ドゥもスワニルダでした。)

彼女のスワニルダは好評を博しましたが、ジュゼッピーナは、この初演の半年後、わずか17歳のときに天然痘で亡くなります。フランスバレエは衰退期にもミューズを得ることができないまま、ついに終焉を迎えるのです。

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また、コッペリアの初演時には、劇場はバレリーナという高級娼婦とパトロンの出会いの場と化していて、コッペリアでは、男性の主役ダンサーさえも長身の人気女性バレリーナが男装して演じたそうです。一説には、男性の衣装の方が身体の線が良く見えるためあえて女性を配したとも言われており、当時のバレエの低俗ぶりを表す象徴的なエピソードです。

 

ちなみに、初演時は、オペラ作品に続いてコッペリアが上演されて全体として上演時間が5時間を超え、多くの招待客が終演を待たずに帰ってしまったようです。これに対し、オペラ座がとった解決策は、現在の3幕の「時の踊り」から始まる一連の踊りをカットする、というもの。今では3幕だけで上演することも多くあるほど、一番の見せ場の幕ですが、現在も本家のパリ・オペラ座は、このスタイルを踏襲しています。

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 オペラ座といえば、バレエ学校のコッペリアが映像化されています。今をときめくエトワール、マチュー・ガニオの初々しい姿を見られます。なんといっても、締めの3幕がないので、「え、ここでおしまい?」と肩透かし感はありますが、ピュアな生徒たちのバレエは、観ていて清々しいです。

 

歴史 - History

コッペリアの特徴の1つとして、民族舞踊が多様されていることが挙げられます。1幕にポーランドの民族舞踊マズルカハンガリーの民族舞踊チャルダッシュが登場し、コッペリアは民族舞踊をディヴェルティスマン(ストーリーの流れとは直接関わりなく、多彩なダンスが連続して踊られる場面)として用いた最初のバレエと言われます。

 

バレエに民族舞踊が用いられたきっかけは、ロマンティック・バレエロマン主義という当時流行した思想から多大な影響を受けた点にあります。人々の時間的・空間的感覚が広がったことによる異国趣味はロマン主義の特徴の1つとして挙げられ、コッペリア以前も、「ラ・シルフィード」はスコットランドを舞台にしていましたし、「ジゼル」の2幕に登場する死霊ウィリも、初演時は世界各国から集った死霊という設定で民族衣装をまとっていたようです。

 

しかし、「コッペリアはフランスあたりにある村で起きるどたばたラブコメという設定だったはずなのに、ディヴェルティスマンとはいえ、ポーランドやらハンガリーの人が集うのは唐突では?」とずっと疑問でした。

ところが、この作品の舞台はフランスではなく、現在のウクライナポーランドにまたがるガリツィア地方なのだそうです。なので、ポーランドの民族舞踊マズルカは、設定上は地元のダンスといえるのかもしれません。

また、現在のハンガリーポーランドの南、ウクライナの南東で接していることからもわかるとおり、ハンガリーもまた至近に位置し、ガリツィアは1867年にオーストリア・ハンガリー帝国に併合されてハンガリーの影響力が強くなったと言われます。したがって、ガリツィアではハンガリーの民族舞踊もきっと日常的に見られたことでしょう。

 

当時、東方のガリツィアとフランスはドイツ(プロイセン)で遮られ、フランスとドイツは一触即発のにらみ合いの時期ですから、ドイツより東のガリツィアは市民にとってまさに異国。単に当時の流行思想を取り入れるという意味合いのみならず、ドイツの先の世界をイメージさせることで、そこに行き着くための宿敵ドイツ打倒を鼓舞するプロパガンダ的意味合いもあったのではと勘ぐってしまいます。

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そして、ストーリーは当時の人気作家であったホフマンの「砂男」をベースにしています。ホフマンといえば、「くるみ割り人形」の原作も書いているドイツ人作家で、特に1828年にフランス語翻訳されて以降、フランスで爆発的な人気を得ます。「砂男」はかなり不気味で絶望的な結末で終わる物語なのですが、バレエの脚本に変換される過程でラブコメへと大きく形を変え、平和への祈りも込めた(3幕の主役による見せ場は「平和のパ・ド・ドゥ」と呼ばれます。)物語になりました。

 

しかし、その願い虚しく、初演の5月25日から2ヶ月と経たない7月19日にはドイツとの間で普仏戦争が始まり、最終的にフランスはヴェルサイユ宮殿でのドイツ皇帝即位式アルザス・ロレーヌの割譲という屈辱的な敗戦に至るのでした。

なお、コッペリアと砂男の詳しいストーリーを知りたい方はこちらがオススメです。

 

コッペリアは、これまで紹介してきた作品に比べるとみどころごとの映像は少なかったので、全幕の映像を1つご紹介します。

この映像のほかに、オシポワが主役を演じるボリショイの映像があったのですが、削除されてしまいました‥オシポワは、クセの強いダンサーなので、個人的には作品によって好き嫌いがあるのですが、スワニルダは彼女の勝ち気な雰囲気とマッチしていてよく似合っていると思います。ボリショイなので、全体のレベルが高く、衣装も民族衣装っぽく鮮やかな色合いでとてもかわいい作品に仕上がっています。

ボリショイのセルゲイ・ヴィハレフ版は、パリの初演から14年後にロシアで上演された時のプティパ版をできる限り忠実に再現したバージョンです。

オーストラリア・バレエの映像 - Video of Australian Ballet

90年代前半の映像ですが、いまだにコッペリアといえばこの映像をよく見かけます。スワニルダ役のリサ・パヴァーヌが、はつらつとしている中に品もあるバレエで魅せているのが印象的です。2幕の人形たちの中で異彩を放つぐにゃぐにゃの人形も一見の価値があります。

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こちらは、オーストラリア・バレエを設立したペギー・ヴァン・プラーグのバージョンです。

 

個人的に、コッペリアは、美しい音楽とはっちゃけた演技で踊っているのは楽しいのですが、観るとなるとバージョンによっては苦手に感じるときもあります。原作の「砂男」の不気味さを唯一残すキャラクター、コッペリウスがどう描かれるかによって、コミカルな楽しさよりも胸がきゅっと締め付けられる哀愁を強く感じてしまい、後味が悪くなる時があるのです。

例えば、ボリショイのヴィハレフ版は、あまりにもコッペリウスが邪険に扱われるので可哀相になってしまい、観ているのが少しつらくなりました。

 

この他の著名なバージョンの1つとしてコッペリウスの心理描写に力点を置いたローラン・プティ版がありますが、これも辛くなりそうでいまだ全幕にトライできていません。

他方、コッペリウスにもハッピーエンドが訪れるピーター・ライト版は、心温まる物語として完結していて嬉しくなります。ラフィユもそうなのですが、ライト版はどの作品にも愛が溢れているのが特徴です。

このように、コッペリアは、コッペリウスの性格や周囲のコッペリウスの扱い方、そしてどのようにコッペリウスに焦点を当てるかでバージョンごとの特色が生まれている印象を持ちます。

コッペリアを観るときには、主役の2人だけでなく、コッペリウスに着目してみても面白いかもしれません。